現役FPが見た“備えの差”|万一のとき助かった人・後悔した人の3つの実例

実際に経験して3つの事例

「保険って、結局ムダじゃないですか?どうせ使わないし…」
これまでに、何度この言葉を聞いてきたかわかりません。
正直、その気持ちもよくわかります。毎月それなりの金額を支払い、それを何十年も続ける。
しかも、何も起きなければ、ただ“払い損”のように感じる――。
でも私は、10年以上この仕事を続けてきて、ひとつだけ確信していることがあります。
保険は、何かが起きた「その日」にこそ価値を持つ。
「まさか自分が」
「まさかこのタイミングで」
そんな“まさか”が、ある日突然、現実として目の前に現れるのです。
そして、そのときになって初めて、保険がどれほど力を発揮するか――
あるいは、どれほど足りなかったか――を、私たちは知ることになります。
この記事では、私が実際に担当した3つのご家庭のエピソードをご紹介します。

「学資保険だけで十分」―その決断が、遺された家族を苦しめた

「学資保険だけでは不十分」

もう10年ほど前のことです。
当時の私は、都内の営業拠点から埼玉の支店へ異動したばかりでした。
新しい環境、新しいチーム、そして何より、初めての“お客様の引き継ぎ”という業務に緊張していたことを、今でもよく覚えています。
すでに定年を迎え、嘱託勤務で働いていた先輩営業マンには、長年担当してきた多くのお客様がいらっしゃいました。
その多くはフォローが十分に行き届いておらず、若い世代の営業担当者へと引き継いでいくという社内方針のもと、私も“お客様の引き継ぎ”を担当することになったのです。
そうした中には、「学資保険のみ加入されている」ご家庭も少なくありませんでした。

よくある「子どもが生まれたから」

先輩営業マンにこのお客様の加入経緯を尋ねたところ、
「たしか、ショッピングモールにブースを出したときに来られた方だったと思う」とのことで、あまり記憶が定かではない様子でした。
すでに数年前のことでもあり、印象に残っていなかったようです。
当時は、お子さまの誕生をきっかけに、
「とりあえず学資保険だけは入っておこう」と、相談窓口やショッピングモールのイベントなどで申し込まれる方が多かった時期でした。
加入内容も、ごく一般的なものでした。
18歳満期で学資金が受け取れる積立タイプ。
しかし、万が一に備える死亡保障や、大きな病気に備える医療保障は一切含まれていませんでした。
おそらく当時の担当者も、必要性を感じて何度か提案していたと思いますが、
「うちは貯金してるから大丈夫です」
「保険は学資だけで十分。死亡保険とかはまだいいです」
といった言葉で、その他の提案にはつながらなかったのではないかと想像できます。
若いご夫婦にとって、“万が一”の話はどうしても現実味が薄く、
「リスクに備える」という発想自体がピンとこないものです。
それよりも目の前には、育児、生活費、将来の教育資金…
現実的な課題が山積みで、保険のことをじっくり考える余裕はなかったのかもしれません。

「いずれ会いたい」と願いながらも…

私は、引き継いだお客様にはできる限りご挨拶をし、きちんとフォローしたいと考えていました。
何度か電話をかけてみましたが、出ていただいたとしても、
「今ちょっと忙しいので、また時間を見て連絡しますね」
という返答のみ。
他にもお手紙を出しましたが、やはり面談につながるような反応はいただけませんでした。
それでも気になって、近くを通ったときにはご住所を頼りに訪問してみたこともありました。
マンションのインターホンを押すと、女性の声で、
「今はここに住んでないんです、引っ越しました」
と一言。そのまま、ブツッと通話が切れました。
営業の仕事なので仕方のないことですが、少し拍子抜けしたような、残念なような、何とも言えない感覚が残りました。
“タイミングが合わなかっただけ”
そう自分に言い聞かせながら、数ヶ月が過ぎていきました。

1本の電話:「主人が亡くなりました」

数カ月後のことでした。
支店に一本の問い合わせが入り、私が折り返しお電話をしたところ、
「主人が亡くなったので、保険の手続きをお願いしたいのですが…」
受話器の向こうの声は落ち着いているように聞こえましたが、私は思わず「えっ…」と声を漏らし、言葉を失ってしまいました。
確認すると、やはり以前に引き継いだお客様で、学資保険だけをご契約いただいていたご家庭の奥様でした。
私はすぐに契約内容を確認しました。
ご主人、享年39歳――。あまりにも若すぎる別れでした。
こんなに若いお客様が亡くなられるのは、私にとっても初めての経験で、動揺を隠せなかったのを今でもよく覚えています。

初めての“対面”は、遺影だった

奥様にお電話を差し上げ、ご自宅にお伺いすることになりました。
マンションのエントランス、そして静まり返った廊下の様子は、今でも鮮明に覚えています。
玄関で深々と頭を下げ、お部屋に通されると、リビングの片隅には、きれいに整えられた花とともに、ご主人の遺影が飾られていました。
私は、その遺影を横目に、保険の加入内容をご説明するという、人生で初めての経験をすることになりました。
契約者との“初めての対面”が、まさか遺影になるとは――その現実の重さに、言葉がなかなか出てきませんでした。
ご契約いただいていたのは、18歳満期の学資保険。
将来、お子さまの学費として使える満期金はありますが、ご主人に万が一のことがあった場合の死亡保障は一切ありません。
説明を終えた後、奥様は書類を見つめながら、ぽつりとこうおっしゃいました。
「これしか…ないんですね」
「これから、私たち…どうしたらいいんでしょうね…」
その言葉に、私は何も返すことができませんでした。

1年半前に見つかった「がん」

お話を聞く中で、奥様は落ち着いた様子でしたが、ご主人の病気について話してくれました。
「1年半ほど前の健康診断で、“影がある”と指摘されたんです。精密検査の結果、鼻腔がんだと分かりました」
そう話す奥様の口調は淡々としていましたが、当時の衝撃は計り知れないものだったと思います。
手術で一度は腫瘍を取り除くことができたそうです。
その後、ご主人は「娘が成人するまでは生きたいよね」と、どこか冗談っぽく話していたそうですが、半年後に転移が見つかり、そこからの進行はとても早かったといいます。
治療費もかさむ中、ご主人は体調を見ながら塾の講師として働いていたそうですが、最後は意識も戻らず、教壇に立つことはできなかったと、奥様は静かに話してくれました。

死後のライフプランニング

奥様は、当時専業主婦でした。
収入の柱を失ったことで、生活費やお子さんの教育資金に対する不安は、目に見える形でのしかかっていました。
「何か、いい方法はありませんか…?」
そう問われたとき、私はただ、自分の無力さを痛感するしかありませんでした。
保険営業として、お客様の“万が一”に備えることが使命であるはずなのに、何も提案できていなかった。
“そのとき”が来てからでは、できることは限られてしまう――
そんな当たり前の事実を、改めて突きつけられた瞬間でした。
後日、保険の名義変更手続きや、年金事務所での遺族年金の申請方法をご案内し、簡単なライフプランのシミュレーションも作成しました。
“万が一”が起きた“あと”のライフプランを作成したのは、これが私にとって初めての経験でした。
学資保険だけでは明らかに保障が足りませんでした。
現在の生活費、遺族年金、預貯金などをもとにシミュレーションしたところ、数年後には生活資金が底をついてしまうという結果になりました。
奥様も早急に、ある程度の収入を得られる仕事に就く必要があったのです。
ご主人を亡くしたばかりの中で、母親も遅くまで働かなければならない。
その結果、子どもが母親と過ごす時間まで奪われてしまう――まさに、万が一が家族の時間までも奪う、典型的なケースでした。
このときほど、「せめて最低限の掛け捨て保険でも加入してくれていたら…」と思ったことはありません。
そして同時に、以前の担当者に対する悔しさや怒りの感情も込み上げてきました。
唯一の救いは、ご主人が2年前に購入していた中古マンションの存在でした。
住宅ローンは残っていたものの、ご主人の死亡によって団体信用生命保険が適用され、ローンは全額完済されました。
そのおかげで奥様とお子さんは、すぐに住まいを失うことなく、現在の場所で生活を続けることができたのです。
ただ、ご主人がその家に実際に住めたのは、わずか1年ほどだったそうです。
家族のために用意した新しい住まい。
けれど、そこで一緒に過ごせた時間は、あまりにも短かった――
そう思うと、胸が詰まるような思いが今も残っています。

担当変更の申し出

私はその後も、お手紙や情報提供を通じて、お客様とのつながりを保ち続けていました。
自分の心境や日常をつづった「自分新聞」と題したニュースレターも、年に3回ほどお届けしていました。
そこには、前向きな言葉や小さな幸せを届けたいという思いから、自身の結婚や子どもの誕生など、個人的なこともあえて書き添えていました。
少しでも、明るい気持ちになってもらえたら——そんな思いですべてのお客様にお送り続けていました。
ところがある日、支社で事務担当に呼び出されました。
カスタマーセンターを通じて「担当変更の申し出」が届いたというのです。
その理由は、こうでした。
「毎回届く前向きな内容の手紙が、今の私にはつらくて…」
その言葉を聞いた瞬間、私は言葉を失いました。
自分が一生懸命書いていたものでも、それが相手の今の状況や心に“逆の方向で刺さる”ことがある——その現実を突きつけられた出来事でした。
「備えなかったからこそ、後悔が残った」
このご家族を通して痛感したのは、保険は“今すぐ必要なものではない”けれど、“必要になったときには、もう手遅れである”という現実です。
誰かを責めたいわけではありません。
ご夫婦にも、それぞれの想いがあったはずです。
ただ、もしほんの少しだけ、もう一歩踏み込んで「万が一」の話ができていたら――。
当時小学4年生だったお嬢さんは、今はもう高校生か大学生になっているでしょうか。
望んだ進路に進めたのでしょうか。
毎日、笑って過ごせているのでしょうか。
時が経つほどに、私はあの遺影の前で感じた「何もできなかった悔しさ」を、思い出します。

「息子には迷惑をかけたくない」

保険に託された父親の願い

思いがけないタイミングでかかってきた一本の電話から始まりました。
電話の主は、数年前に退職した同期の営業マンから引き継いだ、若き弁護士のお客様でした。
非常に忙しい方で、電話をかけても「すみません、今立て込んでいて…また折り返します」といったやり取りが何度も続いていました。
実際にお会いできることはなく、正直、存在がどこか遠く感じるようなお客様でした。
けれど、その日は違いました。
「ちょっと、保険についてご相談したいことがありまして。都内でお時間いただけませんか?」
受話器の向こうの声は、どこか真剣で、そして少しだけ緊張しているようにも聞こえました。

都内のカフェ

父のことで、ご相談がありまして」
当日、お会いしたのは都内の落ち着いたカフェ。
スーツ姿の弁護士先生は電話の通り硬い表情でしたが、こちらにしっかりと目を合わせてくれました。
注文したコーヒーが運ばれ、少し間を置いてから、こう話し始めました。
「実は、父のことで保険を検討したいと思いまして」
聞けば、お父様は当時70歳前後。かつて自営業をされていたものの、事業に失敗し、多額の借金が残ったまま現在も働き続けているということでした。
借金は約700万円。毎月少しずつ返済を続けているものの、万が一父親が突然亡くなった場合、その債務を相続人である息子自身が背負うことになるこいいったご相談でした。

「父親自身で返してもらいたい、とは思っています。でも、もしものことがあれば、結局は私が処理することになる。それだけは避けたいんです」
その言葉の奥には、表には出さない苦労や複雑な親子関係が垣間見えたような気がしました。

「息子にだけは迷惑をかけたくない」

後日、あらためてお父様ご本人と息子さんの弁護士先生と3人で面談しました。
そこには、淡々とした表情で座る70代の男性がいらっしゃいました。
無駄なことは一切話さない、そんな印象の方でしたが、一つだけはっきりと言われました。
「私はね、息子にだけは迷惑をかけたくないんです」
静かな声でしたが、その一言にすべての想いが詰まっているように感じました。
保険加入の手続きはスムーズではありませんでした。
年齢も年齢、健康診断の記録もなく、医務査定を受ける必要がありました。
ご契約後の別日に(指定医療機関)での検診を経て、ようやく加入が認められました。

保障内容は、死亡時に700万円の保険金が支払われるシンプルな終身保険。
保険料は年齢の分、やや高額ではありましたが、借金の金額をカバーするには最低限の保障でした。

時々、届く保険料未納通知書

加入後しばらく経ち、お父様から数回、保険料の引き落としが遅れることがありました。
「あの…今月ちょっと遅れそうなんですが、間に合いますかね?」と、ご本人から直接電話をいただくこともありました。
余裕があるわけではない様子が伺えましたが、それでもなお“自分の最期の整理を自分でつける”という意思を持って、コツコツと支払われていたようです。

保険金の支払い

それから約3年後のある日、私の携帯が鳴りました。
「父が心筋梗塞で亡くなりました。保険の手続き、お願いできますか?」
電話の主は、あの弁護士の息子さんでした。
あの落ち着いた声で、淡々と状況を伝えてくださいましたが、その言葉の奥には、きっと多くの感情があったのだと思います。
「お忙しいと思いますので、郵送で対応していただけますか?」
そう言われた私は、必要書類を丁寧に揃え、一つひとつ電話で確認しながら、不備のないよう慎重に手続きを進めました。
そして数日後、保険会社から無事に700万円の保険金が支払われました。

届いた感謝の手紙

数ヶ月後のある日、私宛に一通の手紙が支店へ届きました。
差出人は、あの弁護士の息子さんでした。
________________________________________
担当の〇〇様へ
この度は、父の件でお世話になりありがとうございました。
日頃なかなか時間が取れず、いつも電話ばかりの対応となってしまい申し訳ありませんでした。
父が亡くなった後、保険金の支払いがスムーズに行われたことで、借金の整理も無事に済ませることができました。
あのとき、保険をご提案いただいて本当に良かったと感じています。
父も、これでようやく肩の荷を下ろして旅立てたのではないかと思います。
心より、感謝申し上げます。
________________________________________
手紙を読みながら、私はしみじみと感じました。
どこか距離のあるやりとりばかりだったお客様が、こうして丁寧に感謝の気持ちを届けてくださったこと――それが、何より嬉しかったのです。
お父様は苦労の多い人生を歩まれのかもしれません
男手ひとつで息子さんを育て上げ、最後まで「息子に迷惑をかけたくない」という想いを貫かれた。
保険は形にない商品ですが、ご契約者の思いがしっかり残せたと感じました。

「保険金があるから大丈夫」ではない。でも、「あるからこそ、守れることがある」
この出来事を通じて、私は保険の役割を再認識しました。
保険とは、ただお金を遺すだけではありません。
大切な誰かに、**「自分のことで悩ませたくない」**という“想い”をカタチにするもの。
それを可能にするのが、生命保険の本質なのだと、あらためて強く思いました。
保険金は、すべてを解決する“魔法の杖”ではありません。
でも、**何かを守るための“静かな力”**になれるのです。

「保険があったから、今後の生活も大丈夫」

突然の病と、保険で支えられた暮らし

住宅購入のライフプラン相談から始まったご縁でした。
年齢はご主人が40代中盤、奥様も同年代。
結婚から数年たってからお二人のお嬢さんに恵まれ、日々バリバリと仕事し子育てに奔走されているご家庭でした。
「子どもが生まれて、両親もそろそろ高齢だから、一緒に住める家を建てたいんです」
そう言って私の相談に来てくださったのは、ご主人でした。
ヒアリングを進めると、ご主人の年収は約1,000万円、奥様も700万円ほどあり、手元の預貯金も3,000万円近くあるという堅実なご家庭でした。
家は二世帯住宅を建てる計画。
1階にご主人のご両親、2階にご夫婦と娘さんたち。
住宅ローンは一部頭金をだち7,000万円。
ご夫婦で4,000万円と3,000万円のペアローンを組むという構成になりました
その際、ご主人からこう尋ねられました。
「団信って、どこまで保障つけた方がいいんでしょうか?」
私は即答しました。
「がん団信100(がんと診断されたらローン残高がゼロになるタイプ)、これは絶対に付けたほうがいいと思います。」
0.1〜0.2%の金利上乗せはあるものの、一般の医療保険やがん保険で同等の保障を得ようとしたら、毎月の保険料は比になりません。
「万が一がんになったとき、ローンが帳消しになる安心感は大きいです。ぜひ、ご夫婦ともにつけてください」
そう強くお伝えし、お2人とも納得されて住宅ローンのご契約していました。

保険の見直し、そして万全の備えへ

ご主人は結婚当初、保険の窓口で終身保険(1,000万円)と医療保険を2つ契約していたものの、子どもが生まれてからの見直しはしていませんでした。
「教育費って、いくらぐらい考えておけばいいですか?」
そう聞かれたとき、私は家計分析と進学モデルを提示しました。
「私立中高・大学までいくと、1人あたり2,000万円前後はかかる可能性があります」
「2人分と考えると、4,000万円近く。ご主人のご年収も高いんで万一のときたとえ預貯金があっても、保障が足りないので保障の追加が必要です」と伝えました。
その結果、以下の保障を新たに追加しました:
• 3大疾病一時金付きの定期保険(1,500万円)
• 収入保障保険(月15万円・67歳まで)
• (一部の既契約は解約せず残す形で再構成)

「子どももまだ小さいので保障はしっかりしたい」
保険料は確かに上がりましたが、ご主人はこう話してくれました。

病は突然

それから数年。
住宅も無事に立ち引っ越しして落ち着いてから、資産運用のアドバイスさせて頂き、積立型の年金保険などもご契約いただき、数年良好な関係を築いていました。

ある日、ご主人から一本の電話が入りました。
「実は、脳腫瘍が見つかりまして…」
えっまさか、頭が真っ白になりました。
まだお子さんも小さい。お仕事もバリバリされていたご主人がそんなことに――。

その後定期的に連絡を取っていましたが、治療は抗がん剤と放射線。副作用で髪は抜け、免疫は落ち、感染防止のために無菌室での入院生活、病院の別途の上でZOOMで面談したこともありました。
半年の入院、経過をみて3ヶ月の入院を2回、抗がん剤投与と闘病生活が続きました。
ご家族もまた、旅行などにはいけず闘病を支える日々となりました。
壮絶な2年の闘病生活の経て寛解したそうです。

「保険があったから、仕事を“休めた”」

幸いなことに、私がご案内した保険からは「生前給付保険(三大疾病)」より一時金1,400万円が給付されました。
加えて、既存の医療保険からも入院給付金・手術給付金が支払われ、保険により経済的なサポートが複数重なった形となりました。
「保険がなかったら、働きながら治療を続けるしかなかったと思います」
「お金の不安がなかったことで、思いきって“休めた”んです。あれがなかったら、治療の途中で倒れていたかもしれません」
現金で一時金が振り込まれたことも、大きな精神的支えになったと話してくれました。
また、住宅ローンには団信特約(疾病時免除付き)をつけていたため、ご主人のローン分は完済扱いとなり、今後の返済負担がなくなりました。
「ローン残高のうち、主人分の4,000万円が“チャラ”になった。この安心感は、何にも代えがたいです」
奥様のその言葉が、とても印象に残っています。

課題

もちろん、すべてが完璧だったわけではありません。
収入保障保険には「保険料払込免除特約」を付加していなかったため、闘病中も、今後も月々の保険料は支払い続ける必要がありました。
また、別途契約していた年金保険の積立額が大きく、収入が減ったあとの家計には見直しが必要だと感じました。
ご主人の抗がん剤治療は丸2年に及び、体力もかなり落ちたそうです。
これからも通院や経過観察は続く見込みとのこと。
それでも、こう語ってくださいました。
「自分が倒れても、家族の暮らしは守られた。娘たちが習い事や進学を諦めずにすんだ。
あのとき、相談して、本当に良かったです」
この言葉が、私にとって何よりの報酬でした。

担当者として、あのとき“言い切って”よかった
あのとき、「がん団信100は必ずつけてください」と言い切ったこと。
「保障は足りていません」と正面から伝えたこと。
結果的に、それらがご家族を支える力になったことは、私にとっても大きな誇りになりました。
保険は、「今すぐ何かが起きる人」のために入るものではありません。
「今は何もない人」が、“何か起きたときに困らないように”備えるものです。
その真価を、私はこのご家族を通じて、改めて教えてもらいました。

【メッセージ】

あなたの「大丈夫」は、本当に“根拠のある安心”ですか?
保険のことを考えるとき、私たちはつい、こんなふうに思ってしまいがちです。
•「まだ若いし、大丈夫」
•「うちは預貯金があるから、なんとかなる」
•「保険はムダだから、なるべく入らないようにしてる」
でも、私がこれまでに見てきた数百のご家庭の中で、
“本当に備えていて後悔した人”は、ひとりもいませんでした。
後悔していたのは、たいてい“何も備えていなかった”人たちです。
保険の正解は、決して「高額な保障」でも、「最新の特約」でもありません。
あなた自身の人生、そしてあなたの大切なご家族の未来にとって、
“本当に必要なものを、必要なタイミングで準備する”こと。
そのタイミングは、「将来」ではなく――「今」です。
どうか今日という日が、「安心の第一歩」になるきっかけになりますように。
保険は、入ることが目的ではありません。
あなたが安心して、今を生きていくための“土台”になるもの。
いつか訪れる“もしも”の瞬間、
あなたと、あなたの家族が心から――
「備えておいてよかった」
そう言えるように日々お客様と真摯に向き合っております。