現役FPが語る結婚生活10年で良かったこと失敗したこと

結婚生活10年の節目なりましたので、私の結婚生活の良かったこと失敗したこと点を振りご紹介します。FPとしての視点から学んだ教訓を共有し、これから結婚生活を始める方々に向けて具体的なアドバイスを提供します。

同棲 一緒に住んで気がつくこと

初めての共同生活

新婚夫婦 部屋で談笑
私たち二人が初めて一緒に住むことになった際、価値観の違いや生活リズムの違いなどから行き違いが生まれました。私自身は幼少の頃から両親が共働きで、学童保育に預けられ、夜暗くなる頃に家に帰り、その後両親が帰ってくるという生活を送っていました。俗に言う「鍵っ子」ですね。一方、妻は大家族で育ち、ひいおばあちゃん、祖父母、両親、そして兄弟4人という環境で育ちました。

生活リズムの違い

マリッジブルー
まず違いが生まれたのは仕事の働き方です。私は社会に出てからずっと営業の仕事で、帰りは常に遅いのが当たり前でした。企業との打ち合わせやお客様宅への訪問などをしていたため、帰ってくるのは夜遅く、土日も営業で出ることが多かったです。
同棲して数日経ったある日、私は契約が決まり上機嫌で帰ってきました。玄関を開けると、新妻が突然泣き出すという出来事がありました。よく言う「マリッジブルー」ですね。確かによく考えてみれば、大家族から一人暮らしをしたことがない妻にとって、家に帰って誰もいないという生活は本人が想像する新婚生活とかけ離れていたものでした。

生活の見直し

新婚早々やらかしたなと思いましたが、平日は日中に仕事を終わらせて、最低でも土日の片方は休みを取るようにしました。この経験は結婚前にしておいて良かったと思います。若かったこともありあのままバリバリ働いていたら、今頃はすれ違いになっていたかもしれません。

初めての金銭管理

同棲初期には、お金のことをあまり厳しく考えていませんでした。しかし、一緒に住んだことで光熱費はどちらが払ったほうがいいのか、家賃補助があった妻のほうで賃貸契約をしたり、生活費がどれくらいかかるかなど確認することができました。

同棲の重要性

このような経験を通じて、私たちは同棲をすることで互いの生活習慣や価値観を理解し、尊重することがいかに大切かを学びました。同棲は、単に一緒に住む以上の意味を持ちます。お互いをより深く理解し、共に成長する大切な時間です。

結婚の挨拶:大事な儀式

結婚の挨拶

結婚の挨拶
結婚の挨拶はやはり娘をもらうわけですから、きちんと筋を通しておきたいところです。義父さんだけでなく、義祖母もこんなに早く(当時24歳)長女を持っていかれるのがすごく嫌だったようで、若干結婚に反対していました。

グダグダな結婚挨拶

当日はお酒と私の地元の手土産を持って行きました。すでに何度も自宅にお邪魔していましたが、結婚の挨拶ということでさすがに緊張し、寿司を取ってくれていたのですが、一切喉に通らなかったことを覚えています。義父さんのペースを握られてしまうので、「開口一番の挨拶をさせてね」と計画していましたが、それも失敗。乾杯の挨拶から終始義父の独壇場で話が途切れることはありませんでした。

一緒にテーブルを囲んでくれた義理弟たちはニヤニヤしながら出入りしたり、部屋をうろうろしていました。最終的に結婚の挨拶をする前に義父は2階に上がり寝るという珍プレーになってしまいました。その後、なんとか降りてきてもらい、「お嬢さんと結婚させてください」と伝えたのも見事にグダグダでしたが、今となってはいい思い出です。

挨拶の重要性

結局、ドラマのような感動的な挨拶にはなりませんでしたが、しっかり筋を通して伝えられたのは良かったなと思います。義父さんとしても、手塩にかけて育てた娘が本当に出ていくのが寂しかったのでしょうね。

結婚記念日

結婚記念日や入籍の日を決めるのは悩ましいものですよね。私たちの場合は、タイミングもありましたので妻の誕生日を結婚記念日に入籍しました。将来忘れてしまうと二重にまずいですし、次女も妻の誕生日の次の日に生まれたため、忘れると3倍まずいことになりますので毎年忘れないよう手帳に書きアラームも設定もしています。

婚約指輪の選び方

婚約指輪はプロポーズの日に向けて給料の3ヶ月分で購入しました。特にこだわりはなかったので先に結婚した友人の紹介でサプライズも含め一人で買いに行きました。指輪のサイズがまったくわからなかったので「結婚してください。」と渡した指輪がぶかぶかでした。後日、2人で結婚指輪を選びに行ったときにサイズ変更してもらいました。結婚指輪も話し合いの末、オーダーで作りました。そこには交際した日や、私たち2人だけが分かる特別なマークを彫り込みました。新婚の頃は何をしても楽しいことばかりでした、結婚指輪も身の丈に合った買い物ができたので満足しています。

結婚式の準備と思い出

招待状は手渡し

親戚一同には直接会って招待状を渡しに行きました。これは非常に印象が良くて、あの小さかった甥っ子がわざわざ結婚式の招待状を持ってきてくれたことに、おじさんおばさんも感銘を受けました。遠方の方もいるので、なかなか全員に会うことは難しいですが、お電話や手紙などでしっかり伝えておくのが良いと思います。意外と昔の考え方の方もいますので、そのあたりの気遣いは重要だと感じました。

地元での結婚式

どのような形にするか様々考えました。妻の希望としては、寝たきりの高齢のおじいちゃんを呼びたいとのことで、それを考慮して、妻の実家のすぐそばの結婚式場で親族だけで挙げることにしました。その場所は本人が育った地元で、非常に雰囲気が良く、しっぽりとした感じがとても良かったです。しかし、義理のおじいちゃんは結婚式の1週間前に他界してしまい、私の父方のおばあちゃんも1ヶ月前に他界しました。そのため、その月はお互いの葬儀もあり、これも何かの縁を感じるところでした。

結婚式の当日

結婚式場
私の親族は乗合バスで父方、母方の親戚が一緒に参列してくれました。季節は3月末で、ちょうど桜が開花し、春の陽気に恵まれ、穏やかな式を迎えることができました。親戚や従兄弟たちともゆっくり話すことができ、非常に良い思い出になりました。さらに、NHKに取材されたことも素晴らしい思い出になりました。予算としてはだいたい120万円くらいだったと思います。親族40名くらいだったのでご祝儀を頂いたので少しプラスになりました。

披露宴パーティー

親族だけで結婚式を挙げた別日に1.5次会の披露宴パーティーを開きました。私も妻も学生時代からボランティアやサッカーを通じて多くの友達がいたので、誰を呼ぶかも苦労しました。親族のほうは別日で披露宴を挙げていたので、そのあたりは気を使わずに、ユーモア溢れるパーティーにすることができました。もともと頼まれて結婚式の二次会司会を何度も経験している私からすると、会場選びは非常に重要です。

会場選びは特に予約をせずに休日に飛び込みで会場を選びました。そこでスタッフの対応は普段の雰囲気も確認できました。お店からすると迷惑かもしれませんが、ほんのちょこっと見たいだけのところもあり、それぞれ予約を取っていると時間がなくなってしまいますので、いい判断だったと思います。できれば立食ではなく、テーブルで皆さんが座ってゆっくりできるようにと考えていました。

そこでカラオケ店で有名なパセラのパーティールームに決めました。理由は飛び込みで行ったにも関わらず対応してくれた方がとても親切で、わざわざ別の親切な店舗を紹介してくれたからです。当日もクイズ大会をしたり、自分たちで余興をしたりとやりたいことはできたと思います。特に良かったのは、会場がカラオケ店のパーティー会場ですので下の階のカラオケルームを予約しておき、そのまま二次会をそこに移行したことです。

これにより、バラバラに散らばることなく、新郎新妻がカラオケルームの各部屋に回るという1.5次会~3次会まで一石二鳥で長丁場のコースでした。カラオケルームですので各グループに分かれることもあり、いろんな人に挨拶ができ、パーティーに130名、二次会から参加してくれたボランティアの後輩たちを含めると170名近くの人を呼ぶことができました。とても楽しい会になりました。パーティー形式にしたことで会費制ひとり8000円にしたことでお財布にも優しかったと思います。

クイズ大会など景品を買ったりプロの司会者やカメラマンをお願いしましたが、自分たちが費用として負担したのは30万くらいだったと思います。私が友人知人の結婚式に参列するときはご祝儀を渡していたので、ご祝儀をもらってもよかったなと思うくらい楽しい内容になったと思います。

パーティーの反省点

ただ、自分たちで全ての準備を行ったため、当日は「あいつ来るの?来てない?」といったことがあり、動画の撮影をしていた同級生が遅れてくるという行き違いも発生しました。今のようにLINEなどの便利なアプリもなく、写真ももっとたくさん撮れればよかったなと思います。なかなか人に仕事を任せられない性格だと、こういうところはもったいなかったなと感じます。

思い出のアルバム

結婚式のアルバム
結婚式が終わった後にまず行ったことは写真の整理でした。それぞれの親戚が中心に写っているアルバムを親族事に作成しました。これは非常に良かったです。その数ヶ月後に他界してしまった妻の母方のおばあちゃんは、入院先の病院でもその写真を大事そうに持っており、入院中も孫の写真を自慢していたそうです。今となっては親孝行というかおばあちゃん孝行ができて本当に良かったです。

新婚旅行: 特別な思い出の作り方

義家族との旅行

結婚式を終えたすぐに、義両親と義祖母を含む5人で新幹線を利用して国内旅行に出かけました。天気にも恵まれ、福島県の夫婦桜の前で撮った写真は素晴らしい旅の思い出となりました。一番張り切っていたのは義父で、彼が旅行計画と予約をすべて取りまとめてくれました。義理の息子として良い印象を与えられたと思っています。

新婚旅行はやっぱり海外?

新婚旅行については、少し失敗したと感じています。国内の奄美大島に行きましたが、ゆったりとしていてとても良い場所でした。しかし、せっかくの機会だったので、海外旅行にすればよかったと後悔しています。当時の為替レートであれば、もっとお得に海外へ行けたと思います。現在は子供が3人もおり、常に誰かが体調不良になるため、そもそも長時間飛行機に乗る気がしません。

後悔の理由

海外旅行に行くのは何年後になるか分からないため、新婚旅行で少しでも多くのお金をかけてハワイやモルディブなどの人気旅行地に行けば良かったと今となっては大変後悔しています。

結婚後の家計管理

女性は名義変更が大変

結婚式が終わった後、私たちは家計についてよく話し合いました。特に、結婚後は銀行口座、クレジットカード、運転免許証、健康保険証など、様々な書類の名義変更が必要で、生命保険の受取人の変更も行いました。また、二人の共通口座に毎月一定額を入金することにし、お互い共働きだったため、家計簿はつけずに、クレジットカードの家族カードを活用し、日々の支出はSuicaで決済してクレジットカードで月々の収支を管理していました。

証券口座の開設

名義変更が一段落した後には証券口座も開設し、投資信託の積立を始めました。FPとしては恥ずかしい話ですが、株や投資信託にそれほど詳しくなかったにも関わらず、アベノミクスとアメリカ株の上げ相場の恩恵を受け、積み立てた商品はすべてプラスの利益がでて早くから始めておいて良かったです。反省点は特に理由もなく売却してしまったことで今でも積み立てを続けていれば更に増えていました。長くコツコツを続けることの大切さを実感しています。

結婚生活の挑戦

営業職のストレス

結婚生活は必ずしもスムーズではありませんでした。営業職のストレスが多い中、お酒をよく飲む私に対して、妻は控えめにするようにとアドバイスしてくれました。しかし、外食時に「これを選んだ方がいい」と言われると、ついイライラしてしまい、怒ってしまったこともあります。今となっては、こんなに太ってしまったので、当時の妻の言葉に耳を傾けておけばよかったと後悔しています。

配属先の移動と引越し

FP(保険営業)として企業やお客様宅を訪問したり、カフェでの商談も多く、帰宅が遅くなることが頻繁でしたが、なんとかノルマをクリアして配属先の変更が認められました。次年度から東京(大手町駅)からさいたま市(大宮駅)に変わることになりました。

当時は神奈川県川崎市、溝の口駅から徒歩15分の高台にある賃貸に住んでいました。毎日重いパソコンを持って坂を登るのが憂鬱で、仕事の成果が上がらないときもあり、資格試験の勉強などで日々で疲弊していました。溝の口駅から渋谷、大宮と1時間半かけて通勤することとなりました。

そこで、結婚からちょうど2年たったこともあり妻の実家に近い東京都府中市へ引っ越しました。新居は京王線・南武線の分倍河原駅から徒歩2分の2DK賃貸で、家賃は少し上がりましたが、私は武蔵野線を利用して朝は乗り換えなしで大宮まで通えるようになり、通勤のストレスも減り仕事の成果も徐々に上がり始めました。

それでも妻は南武線を使って東京都町田市まで通勤しており、夫婦が別々の方向に通勤するという効率の良くない働き方でした。まだ子供がいたわけではなかったですが、義理両親と義祖母は愛娘が近くに住んでくれるのが嬉しかったようで、ランチや夕食を一緒にする機会が多くなりました。現在はテレワークで仕事をしております、働く場所や住む場所の重要性を痛感しています。

家族旅行

両親との思い出

関西出身のお客様とのご縁があり、彼らが東京に来てからの生活についての話を伺いました。大学進学のために上京して以来、お客様は「お金がかかるから」という理由で、4年間にわたり帰省は一度しかしていませんでした。そのお客様が新入社員だった頃、私はこんな話をしたことがあります。「縁起が悪いかもしれませんが、両親は何歳まで生きると思いますか?仮にあと30年生きるとして、毎年帰省しても、あと30回しか両親に会えないことになります。その中で、ゆっくり話ができるのはあと何回だろう?」と。

お客様は、その話を聞いてから、毎年お盆と年末年始に東京のお土産を持って帰省していると言います。お金はかかるけれど、これからはもっと時間を作って帰ろうと思っています。私自身も偉そうなことを言ったなと少し恥ずかしく思いますが、そのお客様の隣には、結婚式を挙げたばかりの可愛い奥様が笑顔で座っていました。どうやらお腹には新しい命が宿っており、帰省する理由がさらに増えるようです。

家族旅行の思い出

私もこの頃、両親と兄とで十数年ぶりに熱海へ家族水入らずの旅行に行きました。出発まで母のわがままや兄の気の利かなさにうんざりしていましたが、食事も旅館も良く、意外と楽しんでくれたようです。その後父は難病を患い、昨年長い介護の末に亡くなりました。

親孝行の重要性

思い起こせばこの旅行が家族全員で行った最後の旅行となりました。「孝行したい時には親はなし」と言われるように、後悔する前に、故郷を離れて働く人だけでなく、同居している人も時には両親や家族とゆっくり話す時間を持つのが大切です。

長女誕生

初めての出産

2017年2月に長女が誕生しました。その週は有給を取り、絶対に出産に立ち会うと決めていました。妻とは散歩やランチ、お茶をしながら「今日も産まれないね」と話すなど、穏やかな時間を過ごしていました。しかし、17時頃に妻がお腹が痛いと言い出し、病院に連絡を取りました。病院に到着して間もなく、分娩室で妻は出産準備に入り、わずか18分で元気な女の子(2,910グラム)を出産しました。
立ち会った時間はたったの5分で、「頑張れ」と3回しか言う間もなく、結婚3年目にして、無事に娘が生まれました。あれから7年経つと思うとはやいものですね。小学生に成長した長女ですが、親族でも一番初めの子供だったので大変甘やかされて順調に育っています。

まとめ

10年間の結婚生活を振り返ると、多くの成功と失敗がありました。まだ約3年分しかご紹介できていませんが、同棲から始まり、結婚の挨拶、結婚式、新婚旅行、そして家族旅行や家計管理など、様々な経験を通じて学びました。これから結婚生活を始める方々には、私たちの経験が少しでも参考になれば幸いです。
次回は、「子育てと仕事の両立:現役FPが語る実践的なアドバイス」というテーマで、長女が生まれてからの子育てや仕事とのバランスについてお話しします。お楽しみに!